東と西(1) Berlin
2007年 06月 13日
第1回目は首都ベルリンです。
第二次世界大戦でドイツは日本と同じく敗戦しました。日本がアメリカ軍によって占領されたのと同じように、ドイツも戦後しばらくの間は戦勝4カ国(アメリカ、フランス、イギリス、ソ連)に占領されました。ハンブルク、デュッセルドルフなどがある北西部の州はイギリスに、ミュンヘン(バイエルン州)、フランクフルト(ヘッセン州)など中部~南東部はアメリカ、マインツ(ラインラント・プファルツ州)、フライブルク(バーデン・ビュルテンベルク州)など南西部はフランス、そしてベルリン、ドレスデン、ライプツィヒなどがある北東部の5州はソ連によって占領されていました。首都ベルリンはソ連占領地域の飛び地のような存在となり、そこは4カ国共同占領地となりました。
1949年に、英独仏の3カ国によって統治された地域は首都をボンとしたドイツ連邦共和国(西ドイツ)となり、ソ連の占領した地域は首都をベルリンとしたドイツ民主主義共和国(東ドイツ)となり、1つの国が2つの国家に分裂した形となりました。この国家体制になってから東ドイツ国民がベルリンを経由して西側へ流出することが絶えず、ついに1961年8月13日の未明、東西の境に壁(最初は有刺鉄線)が築かれました。東ドイツの中の浮島となってしまったベルリンの、3国連合軍統治領(西側)の部分をぐるりと囲むように作られた壁の長さは、全長約155kmにも及びました。
陸の孤島となったベルリンに行く場合、どうしても東ドイツのエリアを通っていかなければならず、その際は列車にしろアウトバーンにしろトランジットのビザが必要でした。また空路で西ベルリンに飛ぶ際には、同じ国でありながらも西ベルリンは英米仏3カ国信託統治領であったためにドイツの Lufthansa は就航しておらず、British Airways、Air France、Pan Am を利用して飛ばなくてはなりませんでした。
今でこそ華々しく復興を遂げた首都ベルリンも、ほんの20年前までは近くてもとても遠い存在であったのでした。
<本日の昼食>
学食・ソフィアプレート
鶏ササミのチーズはさみ揚げ
早い時代の流れが、世界の情勢を大きく変化させていきますね。
ベルリンはまだいったことはないですが、早く行ってみないと東ベルリンの名残がまったくなくなってしまいますよね。
もう残っていませんか??
ワタシが最後にベルリンに行ったのも統一直前の1990年6月だったので、現在どの程度東ベルリンの名残が残っているのか見当がつきません。。この17年間で東部が西部に負けるとも劣らない復興を遂げたので、むしろ名残を探すことが難しくなっているかも知れませんね。。