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ハイリゲンダムとロストック

6日からドイツ・ハイリゲンダム(Heiligendamm)でG8サミット(主要国首脳会議)が行われます。この開催地となったハイリゲンダムがどこにあるのか示してみました。
Google Map: 赤いハーケンで示した場所がハイリゲンダムです。地図の左上の方にありますのでスクロールしてみてください。拡大していくとホテルまで確認できます。左の拡大&縮小バーで縮尺を調整してみて下さいね)。ここはドイツ北部のバルト海沿岸、メクレンブルク・フォアポメルン州(Mecklenburg-Vorpommern)にあるリゾート地。会議は海辺の高級ホテル・ケンピンスキーで行われます。会場周辺の12kmに有刺鉄線を張り巡らし、ホテルに面した海上には巡視艇を浮かべての厳戒態勢だそうです。

余談ですが、サミットの開催に反対して、ハイリゲンダムの東約25km のロストック(Rostock)ではデモが暴徒化したと報じられました。かつてまだドイツが東西に分断されていた1988年秋にワタシは旧東ドイツのロストックを訪れたことがあります。ロストックはかつてバルト海沿岸のハンザ同盟都市で、立派な港湾都市でした。第二次世界大戦で爆撃を受けて壊滅的なダメージを負い、戦後は造船の町として復興したものの、ドイツ統一後に造船業はたちどころに倒産。多くの失業者を出して、極右勢力のネオ・ナチが増えた町でもありました。

1988年当時の町の様子は、建物などは戦後修復されないままで、煤けて古めかしいものばかり。爆撃の爪あとが町のあちこちに残っていて、復興すらままならない疲弊感が漂っていました。この町に限らず当時の東ドイツでは、庶民が買い物できる一般店での物資が非常に乏しく、肉屋やパン屋の陳列棚には商品が全く無い状態。閉ざされたドアには「次回配給日のお知らせ」の紙が張り出されれていました。そんな中でも唯一インターショップ(西側の通貨でのみ購入可能なドルショップ)には、質の良い生活物資や食料品が常に売られていました。ここで買い物できるのは、外貨を持っている外国人と高官などのごく限られた人たちです。東ドイツでは一般市民の外貨の入手は禁じられていて、両替所以外でのヤミ取引が発覚した場合には、双方に重い懲罰が課せられました。それでも人々は高い金額を払っても生活必需品を買い求めたかったのでしょう。街角では外国人を見かけると何人もの人だかりができ、外貨への両替を要求してきました。当時は東ドイツマルク(M)に対する西ドイツマルク(DM)のレートが公式には 1:1 だったのですが、街角などでの個人的な取引になると10:1でもいいから両替して欲しいと言ってきたのです。

そんな物資が乏しい東ドイツ時代には沿岸の高級ホテルなんかありえませんでした。ケンピンスキーやシェラトンなどの外国資本のリゾートホテルは、この十数年間で進出したものです。かつての活気どころか人気(ひとけ)もない彼の地に立派なホテルが建ち、サミットが開催されるに至るまでの歳月や、町の復興と繁栄を思うとなんだか感無量になってしまいます。
Commented by プリシオン at 2007-06-06 22:08 x
東ドイツって、ドイツ国民にとっては、どんな時代だったのでしょうかね?その前のヒトラーの時代もどんなものだったのでしょうか?
ちなみに僕はお札を集めており(商売柄)、びあだるさん東ドイツのマルクってお持ちでしょうか?
Commented by freiburg0523 at 2007-06-07 08:01
ドイツが東西に分かれていた時代は既に18年以上前となってしまい、今の学生のほとんどは東西の出身地のこだわりが無く育った人たちです。時代はどんどん進んでいくのですねー。
昨夜は偶然にも旧東ドイツ出身の同年輩と飲む機会があり、東の時代の生活ぶりを教えてもらいました。このことは追って記事にしてみますねー!
東ドイツのマルクは国外持ち出しは厳禁だったのですが、5マルク札を本に挟んでこっそり持ち帰ってきました。その後どの本に挟んだのか分かんなくなってしまったのですが、見つけたらお知らせしますね!
by freiburg0523 | 2007-06-05 20:54 | 社会 | Comments(2)

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