ミグ
2006年 04月 03日
時は1988年9月29日。アムステルダム発KLM861便でのこと。午後にスキポールを発ち、シベリア経由で翌朝成田に到着する便で、北廻りが主流だった当時としては運行したての直行便でした。これもゴルビー(ゴルバチョフ)の提唱したペレストロイカの賜物です。ワタシは進行左側(北極側)の窓側の座席だったのですが、モスクワを過ぎたあたりだったでしょうか、ふと窓の外を見ると真横に等速度&等高度でミグ戦闘機がぴったり平行して飛んでいたのです。距離はどのくらいか分かりませんが、コックピットの人影(2人)がはっきり見えるくらいの近さでした。機内は徐々にその謎の戦闘機の話題で騒然としてきて、反対の窓側に座っている人まで見物にくる始末。その時誰しも脳裏によぎったのは大韓航空機撃墜事件ではないでしょうか。それは1983年9月にKAL機が規定の航路を外れてソ連の領空を侵犯をしたため樺太沖で撃墜された事件でした。でも今回は当然ソ連側の許可を得ての飛行でしょうに…。何かKLMがソ連の癇に障ることをしているのではないか?とフライトアテンダントに詰め寄る一幕も出始めたころ、機内放送で、「心配しないでシャッター下ろして寝て下さい。」というアナウンスがありました。こういうときはちゃんとした状況説明が欲しいところです。隣のオランダ人夫婦もやはり不安が否めないらしく、ワタシに向かって「シャッターは閉めずにそのまま見張っていて下さい。」というワケのわからん命令はするしで、結局一睡もせず、ミグを睨んで一夜を過ごしました。その後日本海に抜けるあたりまで、ずーっと平行飛行してきていました。ごくろうさまなことです。
しかし一体あれはどういうことだったのでしょう?もしかして、じつはソ連の管制システムの整備が追いつかなかったので、いちいちミグがナビゲートしてくれてたんでしょうかねぇ?すると当時シベリア上空を飛ぶ旅客機には必ずミグがお供していたってことかぁ…?なにはともあれ撃墜されず無事で良かったですが、ソ連側としても相当な労力だったと思います。ソ連がシベリア上空の領空権の使用を対外的に認めた直後の出来事だったので、何が起こっても不思議ではない時期でもあり、今となってもナゾが残る不気味な経験でした。
<本日の昼食>
ごはん
豚肉生姜焼
スナップ・エンドウ
シラタキ&タラコ
菜の花のからし和え
(残り物の詰め合わせ ^^;)
<本日の夕食>
ごはん
バジルと鶏肉のエスニック風
本日の摂取塩分: 約9g
本日の摂取カロリー: ?kcal
昨日との体重差: +0.4kg
最近パンヤというゴルフゲームにはまってます。
パンヤってオンラインゲームなんですか?ワタシもやってみようかな…。