「はやぶさ」の思い出
2009年 03月 13日
ニュースでは、駅ホームにひしめく黒山の鉄ちゃんが映し出されていました。
ワタシは「はやぶさ」には乗ったことがないのですが、思い出があります。
大学2年の夏、農場実習で過ごした鹿児島。ここから帰京する際は交通費だけ渡されて自由解散。大半の仲間は、西鹿児島駅から寝台特急「はやぶさ」を利用して帰ったのですが、当時のワタシはまだ飛行機に乗ったことがなく、こりゃ千載一遇のチャンスとばかりに鹿児島空港から羽田までひとっ飛びしてしまいました。
鹿児島からさっさと帰った翌朝、ノコノコと大井町駅へ。東京に先回りして着く予定だったワタシは、翌朝「はやぶさ」で東京に着く仲間たちに、大井町駅からみんなに手を振ることを約束。この駅のホームからは通過していく東海道線が見えるので、「はやぶさ」も東京駅到着約10分前には通過する予定だったのです。待つことしばし。いよいよ彼らを乗せた「はやぶさ」が接近してきて、かなりのスピードで通過して行きました。仲間がどの車両に乗っているのか分からないので、ホームでがむしゃらに手を振るワタシ。傍から見たらちょっとヤバい人だったでしょう。
彼らと再会した時に確認したら、連中はどのタイミングで大井町駅を通過するのか見当がつかず、気がついたら東京駅だったそうで。こちとら恥をしのんで駅のホームで手を振っていたのに、なんだかとても残念でした。今のように携帯電話でリアルタイムに連絡できる時代からみると、かなり悠長な話ですよね。でもこれもまた青春ですかねー。
<本日の昼食>
赤坂・Repas
プルコギ丼(小)
長い望遠レンズを付けたカメラを3脚で構える大人、小さいデジカメを構える子供達!
レンズの向かう先は当然、東京駅方面・・・
昼のTVで「今日がはやぶさのラストラン!」と言っていたので、この人達はそれを映しに来たブルトレ撮影隊なのだと、合点、がってん、ガッテン
「はやぶさ」というより私の場合は「富士」なんですが、社会人になって一度だけ乗りましたか。どうしても翌朝東京にいなければならないので、0時過ぎに福山を出る「富士」に乗ったのです。その夜は地元での演奏会で、当然この時刻には打ち上げでベロベロ。楽器を寝台脇の荷物棚に載せるのが凄く辛かった・・・ところまでは覚えているんですが、次に気がついたら朝の熱海だったかな(笑)
これは確か阪神大震災のあった年で、行きは夜行バスに乗ったものの名神~中国道が大渋滞で、福山到着予定時刻にまだ京都でした。無理言って降ろしてもらい、京都南IC先のSAの従業員通用口から外に出て、タクシーで高槻駅まで行き新大阪から新幹線・・・と、この年は往復とも随分苦労しました。
うはは。品川にも鉄ちゃんが群れてましたか!おそらく沿線には星の数ほどの鉄がカメラを構えていたのでしょうねー。ラストランの決定的撮影をしたかったのでしょうが、あれじゃぜーったい他の鉄が写りこんでしまいますよね。それが逆に雰囲気が出ていいのかなぁ。。(^^)
新潟~大阪の夜行寝台ですか。「ゆきぐに」かなぁ?かつて新潟~上野には急行「佐渡」っていうのがありましたよねー。(^^)v
寝台列車に乗ると、ワタシの場合は興奮して寝られなかった覚えが…(^^)v
「あさかぜ」ですか!懐かしい名前ですねー。ワタシは中高生だった時、毎朝大井町駅で終着間際の「あさかぜ」が通過していくのを眺めてましたよ。(^^)
1995年の福山行きは大変だったのですねー。もう夏には山陽新幹線も全線開通していたのですね。そういえば、MIKEさんは大阪で演奏会をした時も、夜行バスでしたよねー。大型楽器の我々には夜行列車A寝台という選択肢もあったかなぁ?(^^)
福山へ行く場合寝台特急はB寝台でも新幹線より高いはずなんですけど、快適性では新幹線ですよね。要は「旅気分」に差額を払っているってことですかね。
そっか。B寝台でも新幹線よりは高いのですね。でも夜行列車の食堂車でビールを傾けながらのんびりと旅を味わうのもいいですもんね~。そういえば最近の新幹線には食堂車すらないもんね。
狭い日本、そんなに急いで何処へ行く?みたいなー。(^^)