32年前の映像
2009年 02月 25日
これは、青少年国際音楽連合(FIJM)というUNESCO傘下の組織の日本支部(JMJ)が編成していたもので、30歳以下の学生が国や人種や宗教を超えて共に音楽を演奏し、鑑賞して通じ合おうという趣旨で作られた団体です。
日本では東京近辺の72団体と福岡周辺の5団体、200人の個人参加から成っていて、毎年2回「青少年音楽祭」として、マンドリン、合唱、オーケストラの三部で演奏会が行われていました。
当時、学生オーケストラに参加している人だったら"ジュネス”と聞けば誰でも知っているオーケストラ。各団体から推薦を受けた精鋭たちの集団でもあり、それに参加することが憧れでもありました。青少年音楽祭の模様は、毎年NHKで放映されていたのですが、確か2001年を最後にジュネスとしての活動は解散されてしまいました。
このジュネスに学生時代参加されたという方と最近知り合いになりました。その方は現在地方のアマチュアオーケストラでビオラを弾かれているのですが、相当なメディアマニアでもあるご様子で、1970年代の「映像」をDVDにして保管されているとのお話でした。よくよく伺うと、奇しくもワタシのビオラ弾きの同僚と同時期の青少年音楽祭に参加していたことが発覚。ご好意により当時の演奏が収められたDVDのコピーをいただく運びとなりました。
そのDVDを見てみたら、まずは指揮をされている尾高忠明氏がまだまだ青年といった感じでびっくり。さらに現在所属しているオーケストラのメンバーの若かりし姿を続々と発見。今や恰幅が良くて貫禄満点なおじさんが、当時はひょろりとした紅顔の美青年だったりして、じつにほほえましかったです。同僚もお嬢様風の時代がかった髪型をしてて、真剣な表情で弾いているのが映っていました。
1970年代はまだ家庭用のビデオデッキやビデオカメラが普及していなかったので、本当に貴重な記録です。思わぬ出会いと文明の利器に感謝ですね。
<本日の昼食>
学食・日替わりランチ
今は昔・・・
私の学生時代の心に残る大きな思い出です
尚団体の推薦、と書かれていますが、私の学生時代は参加希望者も増えたのでしょう、厳正なオーディションがありました。何たって、N響奏者の前で課題を演奏するんですから当時はビビリましたよ。私が受かった年の金管のオーディション担当はHr田中さんとBassTb秋山さん。忘れられませんよ。
因みに私のいた大学オーケストラは、何故かほぼ毎年オーディションの前日に部の新人歓迎会があって、多くの者は宿酔いで受けに行っていたような気がします(爆)お気楽つうか身の程知らずというか・・・
もしかしてオケ・ロージンさんも出演されていたのでしょうか?どんな曲をどなたの指揮で演奏されましたか~?学生時代にこのような経験ができるって、本当に人生の宝になりますよねー。(^^)v
なるほどー。Hさんあたりの方がパイオニアでしたか!調べたら昭和37年頃に第1回演奏会があったそうです。このオーケストラを編成するにあたって、ジュネスの事務局が当初は音大生に打診したそうですが、ソデにされたので一般大学の学生を対象にしたとか。これでいいのだ~!ですよね。
秋吉久美子さんと遭遇して、美しさにぼーっとしている学生時代のpokeさん、なんか想像できるなぁ。。(^^)v
みなとみらいの映像ライブラリーで見られるってことはないかな?
いよっ、歩くアーガイブ!1980年代の資料も確実に頭にインプットされているのですね。尊敬尊敬!
それにしてもコダーイの「ミサ・ブレヴィス」とは滅多に演奏できない曲に巡り合えたのですね!いいなぁ。。
そうそう。オーディションありましたよね!精鋭かつツワモノの集団でしたよねー。ジュネスでの出会いを核にしたアマオケが都内にも幾つかありますが、どれもレベルが高いですもんね。
1984年の映像が入手できるといですね。ワタシも見てみたいっす。(^^)
何を隠そう!このジュネスは私が大学3年生:61年の時にNHKから話が来て、私とFlのH君はK大、T大のTrbのO君とチームを組んで、各大学に働きかけ結成しました。
大学4年生の時に演奏会を2回開催し、以後毎年演奏活動を継続後、私が社会人生活を終了したその年の演奏会を最後に終わったのです
第1回の演奏会は62年の6月30日(土)東京体育館でコーラスとの合同演奏会で私がコンマス、H君はFlトップ・・・「フィンランディア」「威風堂々」を故中山冨士男先生と故福永陽一郎氏の指揮で演奏しました
その後オケだけの演奏会をとの話が出て、第2回の演奏会として再度オケを結成、AオケをK大とT大中心に、BオケをW大とH・R大を中心にしてプログラムを組みました。Aオケはチャイコの5番、Bオケは運命他を・・・厚生年金会館で62年の12月14日(金)
H君は当然Flトップ、私は第1回目にコンマスを務めたので2回目はコンバスのトップでオンステ、あるオケのコンバス弾きからそれ以来「トンデモナイ人」と思われていました。その人が現在のTK大の学長です
その後、このオケは毎年演奏会を続けて、25周年に私とH君がNHKからNHKホールでの演奏会に招待され、TVのインタビューに出ました。この時にMIKE君Tubがオンステしていたことを今日プログラムで発見!
更に劇的なことは2001年の6月27日、最後の職場を去るべく株主総会から帰宅直後にNHKから電話!「長年続けていたジュネスの活動ですが本年を最後にすることにしました、ついては設立時のメンバーから当時の話を伺いたい」との取材依頼…
終了の理由は
最近学生オケの規模が大きくなり、このようなイベントへの参加意欲が薄くなった
21世紀になり、番組見直しも含めて…
ジュネスは私が社会人生活に入る直前に産声を上げ、社会人生活の終焉をもってその役目を終わったのでした
私とH君、O君にとっては大切な大切な思い出です
長文にて失礼しました 雪の舞う窓辺で
そうですか。欠けたピースがつながりました。オケはわが生涯、ですね。
ジュネスは国際組織。うちの代ではコンマスM田君(シン○ォニカ)と2ndトツMきさんがワールドジュネスに出ました。そのMきさん、よく定期を聞きに来ていましたが、こんど入団するそうなので、よろしくお願いします。
なんと、びっくり仰天です!
ジュネスの礎で歴史を一番よくご存じな方が、こんなにも身近にいらしたとは!いやぁ、うれしいです!
結成時はそのような経緯があってジュネスオーケストラができたのですね。AオケとBオケでは両者ともきっと切磋琢磨していたのでしょうね。そしてオケ・ロージンが初代コンマス、2回目のコンバストップという八面六臂の大活躍をされていたというのも驚きました。
1961年といえば高度成長期の最中ということもあり、時流に乗ってジュネスも成長していったのでしょうね。停年退職と時期を同じくしてジュネスが一区切りついたのも、なんとも感慨無量だったとお察しします。
ジュネス創設時のメンバーの方々と、いっそ「シルバージュネスオーケストラ(仮称)」で単発編成してみるのも面白いかもしれませんね!おそらく皆様功なり名を遂げた方々ばかりでしょうし、運営面では不自由はないかも知れませんよねー。
そうそう。JMJの歴史や創設時の経緯など、ネットで調べてみたのですが、非常に情報が少なくて驚いてしまいました。
オケ・ロージンさんたちがお持ちの貴重な情報を、なんらかの形でウェブでも見られるように、まとめておかれてみても良いかも知れませんねー。(^^)v
Mさきさん入団して下さるのですか!うれしいですね。
ワタシが観たDVDでは、「復活」の時にバンダの指揮をして下さった、お医者さんでバイオリニストのK森さんが2nd.Vnのトップで弾かれていました。そうそう!TrpのS水さんが、とってもかわいいお兄さんで映っていましたよ~!(^^)v
そう言えば1,2回の分はNHKでも保管されていないので、インタビュー時に貸し出して、プログラムだけが放映されましたっけ!
確かに60年代の後半からアマオケのレベルが経済成長と相まってドンドン上がりました。
今から思えば私は草分け時代を過ごしたことが多かったですね
高校オケも設立のメンバーですし、WSOも・・・
92年に突然結成されたJAO東京オケでも、いきなりミシェル・コルボと言うトンデモナイ宗教音楽の大家の指揮でレクイエムをコンマスとして演奏し、その後何回か類稀な曲を経験しましたしね
果報者です 皆さんのお陰です \(^o^)/
やっぱりこれは本にしましょう!
世界的に見ても人口比に対してアマチュアオケが多い日本。その繁栄の一環として学生オーケストラの「高度成長」があったと思います。その過程をぜひぜひ生き証人であるオケ・ロージンさんが記して下さい!!
いやぁ、すごいお話をどうもありがとうございました!(^^)v
51回だっけかな、、、。
コメントどうもありがとうございます!
26年前のジュネス、テレビ放映していたら絶対見ていたハズです(^^) ひろろさんはその中でご活躍されていたのですね。
学生オケをやっていて、ジュネスに出るのは憧れでしたよね。
私は当時大学3年で福岡のS大学のサブインぺクしてました♪運営に関われて、とっても楽しかったです!!!
今思い出しても学生時代で一番充実した日々でした^0^私はヴィオラで参加しました♪
ジュネスをきっかけに他大学にたくさんのお友達が出来て、今でも演奏活動してます♪♪♪^0^
出来ましたら、尾高さん指揮、福岡第一回ジュネスの映像が欲しいです!
お願い出来ないでしょうか?^0^
こんにちは。コメントありがとうございました。
学生時代にジュネスに参加されたとは、うらやましい限りです♪(^ ^)お問い合わせの件、具体的な演奏年月日が分かりましたらお教えいただけますか?
第29回青少年音楽祭
とき昭和51年7月14日(水)開場午後5:00
開演 6:00
ところ福岡市民会館
演奏「管弦楽」福岡ジュネス・ミュジカル・シンフォ ニー・オーケストラ
指揮:尾高忠明
他に、合唱とマンドリンの演奏がありました♪
8月8日16;00からNHK教育で放送されてたんですね♪ 当時はビデオデッキも無くて^^;
びあだるさんののコメントを見つけた時は懐かしくって大大感激でした!!!\\^0^//
マーラーの交響曲第一番「巨人」です♪
当時は、福岡の天神にNHKがあり、九響の練習場所でした! S大学は、九響の技術顧問・チェロの首席奏者T先生が指揮、弦をI先生、管をO先生にトレーニングしてもらってたので、そのNHKでジュネスの練習もあって、プロの練習風景も間近で見れたので、楽しみでした^^
そして、指揮助手は当時同世代の若き「円光寺雅彦」さんでした♪ この福岡では、オーディションはなく、5大学の3,4年生を中心に編成されてました!
いろいろと懐かしい思い出が蘇りますね^^
びあだるさん♪宜しくお願いします^^
マニアさんから返信がきて、残念ながら福岡ジュネスの映像の記録はないとのことでした(・・;)私もデラ砂辺さんの演奏されている姿を見たかったので、本当に残念です。。マニアさんによると、上記「復活」の映像も、当時は家庭用のビデオデッキが普及していなかった時期だったので、電器屋さんを拝み倒してビデオ撮影用のカメラを借り、テレビの画面を録画したものなのだそうです。
ジュネスの練習は九州でもNHKだったのですね。プロの練習風景が見られるなんて、学生としては超刺激的だったでしょうね~。東京にはジュネス出演者を核としたオケがあるようですが、福岡でもそのようなオケはあるのでしょうか?当時の出演者の同窓会とかできたら楽しいでしょうね♪(^^)
ありがとうございます^^
ホントに残念です!^^;
福岡では、ジュネス以降それぞれの大学のOBオケが出来ましたよ! やっぱり大学時代に体験した思い出が忘れられないですよね! その強い思いを持った人が、この指とまれ!って作るんですよね^0^
因みに、私のS大学は地元就職、残る人が多くて、OBオケを作って、更に指揮者故橘常定先生の名前を冠にしたオケ(最初のジュネス世代、5,60代ですね^^;)と二つあります♪ 橘先生は、チェロの故斉藤秀雄先生に師事されて、新響(現N響)の首席奏者で、黒柳徹子さんのお父様と東京弦楽四重奏団を結成された先生で、ローゼンストックやカザルスや昭和初期の音楽界やら話してくださいました^^
大学時代の出会いが今に至ってるんですね^^
それこそ当時の人達と同窓会出来たら大感激ですね!^^ 音楽♪って心を癒しますよね!♡^^
橘常定先生は、現役を退かれてから日大芸術学部、フェリス女学院短大で教鞭をとられて、音楽コンクールのチェロ部門の審査委員もされてたので、びあだるさん60代以降?^^;の東京方面の方が先生のエピソードをご存じないか?と思い名前を出しました^^ 私たち世代は、先生を慕ってたので、2011年の生誕100年に「第九」を演奏しました^^
びあだるさん♪のブログについ!私事を載せてしまいました^^;
びあだるさん♪のお人柄に♡、ありがとうございます!
ジュネスを巣立った学生たちは、やはり大学OBオケを設立していったのですね。私が所属しているオケもその方面で活躍された方が多く、ジュネスを通して経験できた連帯感や、巨匠との出会い、プロ楽士の気概に触れ演奏の奥義を伝授してもらったことが、青春の輝かしい思い出となっているようです。今の時代は情報の獲得には不自由なく即時に沢山得ることができますが、自分たちの時代はまだ、その困難さ故に憧れとか渇望とかで情熱をかき立てられていたのかも、なーんて大いに美化して思い返したりしています。N響時代の橘常定先生のご活躍は存じておりましたが、おそらくオケの先輩方がエピソードとか思い出がある人がいるかも。聞き込みしてみますね!
私もデラ砂辺さんのコメント、とても嬉しかったです。
どうもありがとうございました!(^-^)v
わあ~~♪橘先生をご存じとは^^ 大大先輩ですね!
オケ・ロージンさんも、1962年第一回ジュネスのコンマスとのことで、私が生まれた時には中学生位だったんですね^^ そしてその時の指揮者は福永陽一郎先生とは^^
福岡では、1986年S大学の学院創立70周年記念音楽会で福永陽一郎先生が指揮をされました♪
1987年には、橘常定先生追悼演奏会(5月)で、当初先生と親しかった森正氏が指揮予定でしたが、何回かレッスンを受けましたが、、、本番前に急逝された(5月)ので、急きょ手塚幸紀氏に指揮をしていただきました。大変でした^^;
でも、1960年代~1980年代は、海外にも国内にも多くの巨匠も存命だったし、古き良き時代でしたね!大好きです♡
びあだるさん♪その頃にオケ活動を通じて青春時代を過ごした人たちは、皆仲間ですよね! 幸せ者です!♡
そうそう、S大学にはもう一つ計三つ目のオケがあります!橘先生とオケが大好きなんです♡ 2006年にモツレク演奏を機に橘レクイエムオーケストラ(ジュネス世代30人編成)を結成しました。年末にペルゴレージのスタバトマーテルを演奏します♪
もう一つの橘オケは、黒岩先生の門下生、東京在住の橘直貴氏に指揮していただいてます♪ ご存じでしょうか?^^
びあだるさん♪またまた長々と書いてしまいました^^; でも書くときはワクワクです♡♡♡
橘常定先生のご活躍、私はアーカイヴで知りました(^^;)橘直貴氏は東京でもよくプロ&アマのオケで活躍されていますよ。友人が所属しているオケでも指揮されてました。常定先生と同姓というのも奇遇ですよね。それにしてもS大学は脈々とシトラス系(!)を受け継がれているのですね。スタバト、ヴェルディとドヴォルザークは知っていたのですが、ベルゴレージもあったのですね!
ほんと、学生オケでいろいろな出会いや発見、仲間と共鳴できたことは、かけがいのない思い出ですよね。私も当時のことを思い出すと、20代の気分に戻ってしまいます(^^)
おはようございます!
今日の午後から、橘氏が福岡に作った私的オケ(40人位)の演奏を聞きに行きます♪
東京のお友達のオケは何と言うオケなんですか?
橘氏とは、2001年来のお付き合い^^;指揮をしていただいてるので、気楽にお話が出来ます^^
実は、主人も同じオケで、チェロを弾いてまして♪
OBオケ・橘オケ・橘レクイエムオケの設立者です^^
音楽オタクです!オケ・ロージンさんとか音楽好きな・その周辺の話題豊富な人達と話が合うでしょうね~^^
急な話でごめんなさい^^;
おはようございます!(1日遅れですが ^^;)
友人が所属しているオケはNTTフィルです。数年前に橘氏の指揮で確かラフ2を演奏した記憶が。橘氏の昨日の演奏会はいかがでしたか?ご主人はチェロなんですね!S大学系OBオケの創立者さんとはすごい!いつか機会があったらデラ砂辺さんご夫妻にお話伺いたいなぁ(^-^)v
ロッシー二の歌劇ブルスキーノ氏序曲は、テンポ良く楽しかったですよ~!途中何度も2ndVnが弓で譜面台を叩いてました^^ ベートーヴェンの運命も完全ピリオド演奏で面白かったです!しかも弦全員ガット弦を使ってましたよ!今どき珍しいですね^^
びあだるさん♪創立といっても、もう若い人達は経緯も知らないですし、主人も表立ってアピールしませんし、オケが続いていってるのなら、それでイイ!と^^
歳と共に、だんだんと体力が落ちてきて、もう大曲を演奏出来ないですよね^^;
それもあって、気の置けない仲間と演奏するのには、だんだんと小編成のオケになっていくんですよね^^
ジュネスの創立時の話とか、60年代~70年代の音楽界をオケ・ロージンさんが本を出したら、絶対!手に入れたいです!^^
ブルスキーノ氏、コルレーニョじゃなくて譜面台を叩いちゃうですか!面白いですね。譜面にはどのような指示が書いてあるのか気になるな(^^;)
弦全員がガット弦とは本格的ですね!きっと柔らかくていい音していたのでしょうね(^^)アマチュアの身としては、調弦が難しくてコストも高いガット弦は憧れですが。。
オケでいろいろ経験してくると、最終的にアンサンブルや室内楽に転向されていく方も多いですよね。今の時代自分のライフスタイルに合った音楽が楽しめるって、幸せなことですよね!
こんにちは♪
ブルスキーノ氏の譜面上は多分コルレーニョだと思います! オケは指揮者の解釈次第ですよね!
パソコンで調べたら、面白かったです。
びあだるさん♪ 私達の若い頃は、ガット弦が流行ってませんでしたかね^^ 卒業してから、後輩が弦楽器販売店に就職して、ヴィオラ価格で何でも割り引いてくれましたから^^今やそこの社長です^^
それから橘氏の私的オケは、ほとんど音大出人達で構成されてます。数をこなすプロオケと違い、楽しむセミプロ!って感じです。演奏してて気持ち良さそうでしたよ^^
びあだるさんが言われたように、アマチュアで音楽にいつまでも関わっていける!って幸せですよね!!!
ところで、びあだるさんはヴィオラ弾きですか♪♡
今でも弾かれてますか?
なるほど、譜面台こんこんはコルレーニョの拡大解釈(!)だったのですね。それにしても大切な弓を打楽器のように使うのって、弦楽器奏者としては冷や汗ものですよね。ガット弦、学生の頃は憧れでした。1回大枚はたいて買ったガット弦を、張る段階で切っちゃって、それ以来トラウマで・・・(^^;)楽器屋の社長さんがお知り合いにいらっしゃるとは、なんとも心強いですよね。いいな~♪
橘さんのオケ、理想的な形態なのですね。音大出の演奏レベルが高い方々のアンサンブルって、聴く側としてもほんとに清々しいですよね。それに彼らの活躍の場があるって、ほんと素晴らしいことだと思います。
私はチェロ弾いてます♪v(^0^)v
今もアマオケ2団体に所属して、エンジョイしてますよ~♪
チェロとは♪イイですね~^^
チェロの音色はとっても素敵ですよね~♪♪♪
私の同級生は、40年近くフルートを吹いてましたけど・・・3年前から念願のチェロに転向して楽しそうですよ^^
オケの他に、そのお友達も誘って、たま~に我が家に6人位集まってアンサンブルを楽しんでますよ♪
気の置けない仲間と音楽を楽しむ!って幸せですね^^昔話にも花は咲きますけどね^^
歳をとった今^^;つくずくオケに入ってて良かったな~~って思いますね♡♡♡
チェロもいいけど、ヴィオラもいいですよね~♪(^ー^)vチェロって弦楽器をされていた方が転向してくるケースが多いかも。知り合いでもVn⇒Va⇒Vcと転職された方もいました。次はCbかなと思うのですが、チェロからコンバスというのはレア?逆にコンバスからチェロへの転向は多いかな。気の置けない友人とアンサンブル、最高ですよね。その後は宴会という流れで♪\(^0^)/ 私は演奏会後の打ち上げが楽しみで本番がんばってる感が否めず。オーケストラって本当に楽しいですよね!♪
ヴィオラは弾きながら、いろんな楽器のメロディーを聞きながらのオブリガートが多いところがイイですよね~♪ 基本、伴奏が好きです♡
びあだるさんのように、私も若い時元気な時は打ち上げがとっても楽しみでした^^ それ以前に、卒業してからは、毎回の練習後に率先して行こう!って誘って、近くの居酒屋に行ってましたね!今は^^;
びあだるさん♪ 世間で言う老後の楽しみで、これだけ大勢の人達と遊べるのは、オケ♪以外に無いですよね~!!^^
私もデラ砂辺さんと同じで、旋律より伴奏が楽しく感じます♪ヴィオラは特に和音の中間が多いので、それもまた格別でしょうね!そのような環境もあってか、ヴィオラパートって温厚で平和主義な方が多いですよね。チェロもパートとしての結束は強いけど、各人個性も強い気がしたり?(^^;)
オケの後の「反省会」、私には未だに不可欠かも(^へ^;)本当に音楽、それもオケをやっていて、多くの人たちとつながりを持ち、同じ目標に向かって精進し、演奏会で昇華する経験ができるって素晴らしいですよね。さらにデラ砂辺さんのようにご夫婦で同じ趣味を楽しめるって最高かも~\(^0^)/♪
その通りです! ヴィオラの人はモメゴトが嫌いです!避けて通りますよね^^;でも、世話好きの人も多いですよね^^
確かに、チェロは個性が強いですよね!
メロディーを弾く弾かないは影響あるんでしょうかね~! そういえば、セカンドヴァイオリンを選んで弾く人もヴィオラに近いですよね!
びあだるさん♪ 橘オケには、S大学同士の夫婦が10組位居ますよ♪以外にもジュネスをきっかけに夫婦になった人もいますし^^
そうですね~同じ趣味、しかも音楽を演奏出来る!って幸せですよね~!!!
びあだるさん♪今年は何を演奏されるんですか?♪
やっぱり橘オケのヴィオラパートも温厚な方々の集団なのですね♪団の中にオケが縁で結ばれたカップルが多いのも素敵ですね!
私は現在2つのオケに所属していて、今度の演奏会は片方のオケでは7月にマラ6番、もう1つは11月にベト8&ドボ8を予定しています。今現在、マラ6はもっぱら耳からのインプット、ベト&ドボは1楽章のみさらっています。通勤電車の中でマーラーを聞いていると、なんだか朝から異様に気合が入っちゃったり。デラ砂辺さんは現在はどの曲を練習されているのでしょう?(^^)v
マーラーは1番だけしか弾いたことないです♪
ハイポジションが多いですし、2番3番とだんだん難しくなるイメージです♪^^;でも、メロディーはすごくロマンティックですよね~♡マーラーはテンション上がりますよね!大好きです♡
べト8、ドボ8は懐かしいですね!学生時代を思い出して胸が熱くなります!^^
私は、12月に合唱との演奏会に向けて、ペルゴレージ「スタバトマーテル」とオケ単独のレスピーギ「リュートのための古典舞曲とアリア」(今は古代とは言わないみたいですね)を練習してます♪
通常、橘オケの練習は半年ですけど、今回の橘レクイエムオケは、昨年12月から始めてじっくり、ゆっくり楽しんで練習してますよ♪^^
マーラーいいですよね~♪
おっしゃるとおり、番号が進むにつれて難しくなる感じかもしれませんよね。最近5番を演奏したのですが、あまりの難しさに嫌いになりかけましたが、6番でまた気を取り直した感じです(^^;)学生時代はドイツ・スラブ系の音楽が主流でしたよね。今みたいに譜面を簡単に入手できなかったし、コピーじゃなくて青焼きとか、さらには写譜なんかしたり。楽器だってハープか銅鑼を借りるのが関の山で、マーラーやベルリオーズは学生の分際では無理。なのでジュネスで大曲ができるのが憧れだったのかも知れません。
ベルゴレージのスタバ(あれ? ^^;)合唱合わせ楽しみですね。レスピーギの「古代」大好きです。でも聞くより弾くのは結構大変ですよね。
「青焼き」「写譜」懐かしいですね~^^
当時S大学オケは、橘常定先生がボーイングやアーティキュレーションを記入したスコアが送られてきて、それをトップが写してパート全員にくばってました♪ 当時は何も思わなかったんですが、プロのボーイング、納得のいくボーイングでしたね^^それが染み付いてしまってるので、現役や他のオケのボーイングに、たまに違和感がありました^^;
スタバ^^;は弾くたびに好きになります!レスピーギも学生時代から大好きなんですが、やっぱりだんだん指がマメらなくなり難しいです^^;
そう考えると、今は、好きですけど、マーラーはとんでもハップンですね^^;
びあだるさん♪頑張ってください^0^//
先生から伝授されたボウイングなどは、とても理に適っていますよね。学生の時に知らず知らず最高な技術を甘受できたことは、本当に幸せでしたね~(^^)v私が今所属している地元オケも主宰の先生がプロの弦楽奏者で、予めボウイングを決めて下さるのですが、それはとても合点がいくものです。もう一方のオケは、弦トップがコンマスのボウイングを参考に決めるのですが、低弦楽器ではそれが不都合だったりする箇所もあり、どう歩み寄るかですったもんだしています。それはそれで面白いのですがね~♪
練習前に肉食べて気力&体力を充実させて、マーラー頑張りまーす♪(^0^)/
そうですよね~^^
ヴァイオリンとチェロ・バスは違いますもんね^^;
橘は、チェロはチェロで、ヴァイオリンはヴァイオリンで決めて、それにたまにヴィオラが歩み寄る♪って感じです^^
長年弾いてきて思うんですけど・・・オケの曲って、練習すればするほど好きになりますよね~!!!♡
本番が終わっても、しばらくはメロディーが頭から離れませんね^^
年齢とともにお肉は大事ですよね!^0^
お肉をたっぷり食べてマーラー頑張ってくださいね~!!!^0^//
なるほど、気遣い&リベラルなパートはやはりヴィオラなのですね~♪私もいつも頭の中で音楽が鳴っている感じです。オブリガートのパートを受け持っていると、実際耳で曲を聞いても、頭の中で鳴っていても、音楽が立体的に聞こえてきますよね。中・低弦バンザイ!(^0^)v 曲との出会いは人と同じで一期一会のようなもの。演奏会では作曲者と曲への感謝と、これでお別れ?みたいな寂寥感のような思いが湧いてきます。ほんと音楽やっててよかったですよね!デラ砂辺さんもお肉食べて音楽を謳歌されて下さいね~♪(^-^)v
そうですよねッ!中・低弦バンザイ!!!です^^
曲との出会いは「一期一会」♪イイですね~素敵ですね~♡
ありがとうございます!
私もお肉を食べて、マメらない指を鍛えて頑張って、楽しみま~す♪^^
楽しいエールどうもありがとうございます!
スタミナつけて、これからもオケを楽しんでいきましょうね♪
指は相変わらずマメらないけど、指にできたタコを大切に頑張りましょうね~(^0^)/
コメントどうもありがとうございました。
banchanさんも80年代にジュネスで活躍されていたのですね!伝説のオケコンとミサ・ブレビスに出演されたとはすごい。私にとってはジュネスに参加するなんて夢のまた夢で、放映時は映像に見入り、これが同じ大学生なのかーと感心しまくっていた思い出があります。banchan さんのジュネス体験もさぞや青春の輝かしい思い出となっていらっしゃるのでしょうね(^^)
ミサ・ブレビス、なかなか東京でも演奏される機会がないようですね。指揮者の井崎正浩氏のHPでは、この曲の全曲がYoutubeでアップされていました(http://www.izakimasahiro.com/diary/youtube.html)
もう一度聴きたい観たい、、、また勉強させて下さい。敬具
コメントどうもありがとうございました。
Wow 1970年のタコ5ですか!エネルギッシュな演奏は、中1の豊かな感性に余りあるほど強烈なものだったのでしょうね。私も小学生の頃からNHKの放映は欠かさず観ていたのですが、各大学から選り抜かれた学生奏者たちが大曲に挑む姿は常に憧れでした。あの時代のジュネスは本当に垂涎の学生オケ。いつまでも続いて欲しかったのですが、終わってしまって本当に残念ですね。今や映像を残すことは朝飯前のお手軽な時代となりましたが、50年近く前の映像となるとほとんど幻。。私の所属しているオケでも大石さんと同年配の方々でジュネスに参加した人たちがいますが、お話しを伺うと当時の記憶は年を重ねるごとに宝石のように輝きを増していくような印象を受けます。
大石さんがおっしゃる通り、当時のジュネスは日本の右上がりの成長を象徴しているような感じでしたよね!
私もそのタコ5、聴いてみたいなぁ(^^)
レニングラードpoの指揮には「アルヴィドヤンソンス(マリスの親父) がやはりショスタコーヴィチの5番を、指揮棒無しの両手で指揮」したのが記憶に残るのですが、ロシア(当時はソ連)のオケは、とにかく大味であり音ばかりデカイと。(フランスオケは弦に特徴がありスイスのロマンドオケは弦が弱いと、、、) またこの当時「(旧)日フィルシンフォニーコンサート 芥川也寸志のコンサートコンサート 題名の無い音楽会」等のクラ番組がかなり放映され、NHKでも世界の音楽なんて番組もありましたね。実は今以上にクラ音楽にとっては「熱く良い時代」だったのですね。そんな刺激の物凄い時代にこそ「JMの存在意義」が在り、選抜された学生によるオケって自分にとってもまぶしい存在でした。
調べますとね、実は「戦中にはフルトヴェングラー来日計画」も存在し、「トスカニーニももう少し気力体力が持続していたら、NBC=シンフォニーオブ ジ エアの指揮者として来日」も夢では無かった様です。こうしてみますと「真の歴史的大指揮者は、戦前のワインガルトナー位」なのかもしれませんね。まぁ極東の島国によくぞ来てくれたと感謝しています(録音が残っていないのが無念ですが) おそらくは、当時のJMメンバーの若い皆さん方は、それらの熱い事実を目にし、強烈な刺激を受けて、学生オケとしての名誉と誇りに燃えていたからこそ、あれらの素晴らしい熱演を我々の心に永久に記憶させてもらった事は、とても幸せだったと思わずにはいられません。このサイトヘッド様にはこうした場を提供していただき心より感謝し、ぜひとも資料の公開等もご努力いただければ幸いです。また勉強させて下さい。 敬具
おっしゃるとおり、1970年代はTVもラジオもクラッシックの番組をよく放送していましたよね。これらの放送をきっかけにオーケストラなどの魅力にとりつかれた人も多かったのでしょうね。往年の名指揮者やオーケストラ、ソリストは、聴く人の年代によって変遷をしていくでしょうが、自分たちが若いころに衝撃を受けた演奏は、幾つになっても当時の強烈な印象と共に頭に湧いてくる。。こんな素晴らしい記憶があるのは幸せですよね。
私もここで取り上げた記事が何年経っても盛り上がるのは、ネットでは拾い切れない情報の断片を求めてくる方が多いことにあるのかな?と思っています。ジュネスに関してはmixiやFacebookなどのSNS内では話題になるのでしょうが、もうちょっと一般的に情報をまとめたサイト(データベース)があってもいいのではないかなと思います。なんとかならないかなぁ。。(思案中 ^^;)